凍結胚盤胞を廃棄することにしました
西新宿の加藤レディースクリニックに預けている、凍結胚盤胞をついに廃棄する事にしました。
当初は第二子の娘が1歳になる頃に廃棄する予定でしたが、気づけば娘も1歳8ヶ月になり・・二年近く胚盤胞を保管してもらっていました。
息子も新年度を迎えて幼稚園年中に進級、色々と変化がある中での決断でした。凍結胚を廃棄して後悔はしていませんが、気持ちは複雑です。
この件に関しては、心の中にいつまでも引っかかり・・後悔していませんと書きましたが、それは嘘になりますね。
この記事は、私と同じように保管している凍結胚盤胞を廃棄するか悩んでいる方の参考になればと思い、廃棄した経緯や気持ちなどを綴っております。
不妊治療後、残った胚盤胞を凍結していました
高度不妊治療(顕微授精)経験者の私。近所の婦人科医の紹介で西新宿の加藤レディースクリニック(以下、KLC)に通うことになり、子ども達を授かりました。
息子を出産した後、再び採卵から治療を開始。その際に凍結した胚盤胞二つのうち一つを移植して娘を妊娠。
残った胚盤胞の一つは凍結したままKLCに預けていました。(その時は不妊治療で三人目・・というよりは無事に二人目を出産できるのかという不安が大きかったからです。)
第二子出産後も廃棄する決断がいつまでもできなかった理由
KLCから凍結胚盤胞をどうするか更新通知が郵送で送られてくるわけですが、そのたびに廃棄するのかしないのか悩んで悶々としていました。
凍結された胚盤胞を再び移植するとして、幼児二人を育てながら通院できるのか?共働きならともかく自身が専業主婦という立場で家計が回るのか?子ども三人を育てるキャパが自分にあるのか・・?
ぐるぐると考えが頭の中を巡り巡り・・でもあんなにも頑張って通院して胚盤胞を凍結し、それを廃棄する事は簡単には決断できないと思って更新を続けてきたのです。不妊治療の中ではつらくて苦しい経験もたくさんあり・・言葉にするのが難しいのですが、二人子どもがいるので、もう捨てますとはなかなか言えませんでした。
息子は新鮮胚移植陰性後に凍結胚盤胞移植をして妊娠。娘は再び採卵から始めて二つ凍結できた胚盤胞の一つを移植して妊娠。(不妊治療の用語は、慣れていない人には難しいかと思います。当たり前のように書いてすみません。)
息子が1歳の時に通院するのは息子の預け先の確保という点で大変な思いをしました。
子どもを一時保育に預け、時には隣県から夫の母に来てもらい通院した事もありました。
注射のみ行う日、どうしても息子の預け先が確保できず病院に連れていったこともあります。(加藤レディースクリニックは子連れでの来院を禁止はしていませんでしたが、不妊治療を目的とした専門病院に幼児を連れて行く事には非常に抵抗がありました。非常に元気な子どもだったので、不愉快な思いをした方もきっといるでしょう。)
そこまでして第二子を望んだ私ですが、第三子をとなると躊躇して、悩んだ挙句の廃棄という決断です。
凍結胚盤胞を廃棄した時の気持ち
廃棄の手続きを終え、なぜだか涙が出てきました。
悲しい、つらい、誰に対してか分からない申し訳なさ、空虚な気持ち。今でも思い出すと複雑な気持ちになり、この記事を書いていても何だか涙が出そうな気持ちになります。
「たられば」の話ですが、もし移植したらどうなったかな・・と考えてしまいます。これが後悔というものなのでしょうか?
不妊治療経験者の私が思う事
時代が違えば、国は違えば、私の凍結胚は同じように子どもを希望する誰かのお役に立てたかもしれません。胚盤胞はグレードと呼ばれるランク分けがされていたのですが、凍結保管して使わなかった胚盤胞はグレードがとても良いものでした。
希望される方がいて、法的にも可能だったらお譲りしたいという気持ちがありました。ただ、今の日本ではそれはできない状況です・・とても難しい問題ですが、それができなかったことをとても残念に思っています。